お犬様の執事の日記
我が家のお犬様との日々を徒然なるままに・・・
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お犬様の執事

Author:お犬様の執事
我が家のお犬様!、

ロン様(チワワ)と
シオン様(Mダックス)に
お仕えしております
執事でございます。

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あくせすかうんたぁ

行く年来る年に想う。。。。
皆様、
今年一年ありがとうございました。
皆様のコメント、拍手、
今年ほど暖かく感じ励みになった一年はございませんでした。

思えば、2月21日にロン様が旅立たれたことを皮きりに、
シオン様も4月27日に・・・・そして私は体調を崩してしまいました。
追い打ちをかけるように、仕事もまったく上手くいかなくなり、
株の運用も大打撃をくらい、
やっと持ち直してきたのが11月、パラオを旅した時くらいからでございました。
昔の歌の文句ではございませんが、
まっさかさま~に、落ちて・・・♪と、いったところでございましょうか!?

少し前に、朝、久しぶりに健太くんに会いました。
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私を見ると近づいてきて、クンクン、クンクン・・・・
覚えてくれていたのですね。
まるで、お二人が居た時と同じように、私お周りをクルクル、クルクル・・・
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元気そうでなによりでございます。
やはり、お犬様が居るといいですねぇ~!!
年末に、また心が救われたような気がします。

皆さまは、どんな一年でございましたでしょうか?
皆様にとって来る年がよき一年でありますことを祈りつつ、
年末のご挨拶とさせて頂きます。

最後に、
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今は亡きロン様、シオン様に代わり、健太くんよりのご挨拶でございます。

皆様、どうか、よいお年をお迎えください!

お犬様の執事



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次代の子らへ~日本とパラオの絆 ぺリリュー島物語
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この場所をご記憶の方もいらっしゃると思います。
ここは、パラオの島々のひとつ、ぺりリュー島の南端にある
「西太平洋戦没者の碑」
今年、天皇皇后両陛下がご供花された場所でございます。

さらに南方にある玉砕の激戦地、
アンガウル島を望むこの場所に・・・
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その慰霊碑は建てられているのございます。

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こちらがぺりリュー島の観光地図でございます。
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この小さな島には、戦時中、日本軍の飛行場がありました。
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今年、両陛下をお迎えするためだけに、一部が舗装されたそうです。
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そして、
現地の墓地の一角に、眠る日本人兵士たち。
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その中にひときわ丁重に祀られている人物が。
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彼こそが、ぺりリュー島守備隊隊長、
日本陸軍 中川州男(クニオ)大佐(二階級特進で中将)

パラオに語り継がれる物語の主人公でございます。
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これは、日本ではあまり知られていない物語。

時は、1944年9月、激化する戦局、
当時日本の委任統治下にあったこの島にも米軍進行の気配が。
目的は、この島にある飛行場の奪取でした。

そして、米軍進行が刻々と現実味を帯びてくる中、
村長、島民一同は、

「隊長さん、私達も一緒に戦うよ!、
この島を守るよ!」

中川大佐の下に直訴するのです。
しかし、
中川大佐は、この申し出に、
あろうjことか、
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」
激高して、一喝の下に彼らを追い返してしまうのです。

「日本人は仲間だと思っていのに・・・
今までのことは全てうそだったんだ・・・」


島民一同は、悲嘆にくれたのです。
疎開のため無言で船に乗り込む一同・・・
彼らの悲しみに追い打ちをかけるように・・・
誰一人、見送りには来てくれません。。。。。

しかし、船が港を離れた瞬間、
全ての兵士たちが浜に飛び出してきました。
先頭には、中川大佐の姿が・・・・
「元気でなぁ~!、ありがとう!」
みんな手を振り、一緒に歌った日本の歌を歌っています。

「私達を助けるために・・・、
隊長さん、わざとあんなことを・・・」
「やっぱり(今までのことは)嘘じゃなかった。
日本人は友達だった・・・」

全てを悟り、見送りに応えるように、
船上で泣きながら手を振る島民たち・・・
日本人と島民たちの絆は・・強いものだったのでしょう。

「この島は確実に悲惨な戦場になる・・・
島民たちを巻き込むわけにはいかない・・・
何としても彼らを避難させなければ・・・」
その気持ちが通じ合った瞬間でした。。。。。

中川大佐のこの英断のお蔭で、
ぺりリュー島の戦いでの民間人(島民)の死者はゼロでした。
民間人に死者なしという歴史上、稀な戦場となったのです。


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ぺりリュー島ツアーに参加した方々が慰霊に訪れています。

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そして、
圧倒的な物量差の戦いが始まります。
当時、世界最強と謳われたアメリカ第一海兵隊、
大挙してこの島に押し寄せてきました。
対するは、
中川大佐率いる守備隊、関東軍第14師団、水戸第二連隊。
こちらも関東軍最強と言われた部隊だそうです。

日本軍は、島民と一緒に作った洞窟陣地にこもり応戦します。
その洞窟、現在も「千人洞窟(後日こう命名された)」として残っています。
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日本軍の徹底抗戦により、
アメリカ第一海兵隊は、甚大な被害を被り撤退(実質、ほぼ全滅状態)、

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ここは、オレンジビーチ、
米軍の上陸地点であり、最初の激戦地。
日米兵士の血でその浜は真っ赤に染まった・・・と言われています。
そのことが、名の由来と聞いていたのですが、
現地のガイドさんによれば違うようですね。

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今では、遠浅で美しいビーチです。
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日本軍の勇猛果敢な戦いは、
敵将、チェスター=ニミッツ提督もこう称えています。

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「この島を訪れる旅人たちよ、日本を訪れることあらば、伝えてほしい。
この島を守るため、日本軍は勇敢に戦い、そして見事に散った。
彼らの勇気と祖国を想うその心根を!」

この碑は、ぺりリュー神社の片隅にありました。

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近くには、国家「君が代」に歌われている「さざれ石」も。

当初、米軍は3日でこの島を陥落させることができると考えていました。
しかし、
実に73日間、その戦いは続いたのです。
中川大佐率いる守備隊は、
「ここで米軍の進行を一日でも長く食い止めることが、
祖国を、愛する家族を、パラオの人々を守ることになる!」
そう信じて戦ったのです。
そして、その勇猛果敢な戦いに天皇陛下(先代)より10回を超える御嘉章を賜ったと聞いています。

しかし、物量差はいかんともしがたいものでした。
補給路を断たれ、弾薬も食料も尽きていく・・・・
次第に日本軍は追い詰められて行きました。

そして、
1944年11月24日。
生存者は、わずか50数名となり戦いは終焉を迎えます。

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「終焉の地」・・・・・
石碑にはそう刻まれています。
「サクラ、サクラ」(軍旗も機密文書も全て焼却し、我らここに散る)
この短い電文をコロールの本部に打電し、
中川大佐他側近2名、
この地(洞窟内)にて自決し、戦闘は事実上終結しました。

そして、島に帰ってきた島民たちは、信じられない光景を目の当たりにします。
破壊しつくされた施設、そこいらじょうに散らばる友の亡骸・・・・
アメリカ兵は、日本兵の遺体は放置したままだったのです。
島民たちは、泣きながら日本兵の遺体を墓地へと埋葬したと聞きました。

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洞窟内には千羽鶴が・・・・・
ツアー参加者は、すべてお線香を供え、彼らの冥福を祈っていました。

私も、冥福を祈るとともにお線香とともに(きっと一番欲しかったであろう)水を、
ペットボトルをお供えしたのです。

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ふと、何かの気配を感じました。
その瞬間、無意識に・・・
私は・・思わず・・”敬礼”の姿勢を取っていたのです。

パラオに語り継がれているぺりリュー島の物語。
この話を知り、私はこの地を訪れてみたくなったのです。

旅の途中、

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とても優しい目をしたお犬様が見つめていました。
「よく来たね。ありがとう。。。。」
まるでその目は、そう言っているようでした。

平和な時代を生きる私達、
その私達の持つ「平和のものさし」で当時のことを語ることはできません。
戦時下を生きた人の言動は、そして心は到底、測れないと思います。
しかし、
想像もできない状況下でも島民のことを思い、助けるために行動を起こした
指揮官が居たことは事実です。
中川大佐、そして守備隊の方々、
貴方たちの心根は、今もパラオの人々の心に生きています。
きっと私たちの心の中にも・・・・
(そう想う時、なぜか東日本大震災、茨城の洪水の中、
自らの命の危険もかえりみず救助を行う自衛隊の方々の姿が浮かびました)。


追記)
余談ではありますが、こんなお話も聞きました

敗戦とともにパラオは米国の信託統治下となりました。
「日本兵は残虐、残忍だった。」
そう教えようと試みたことがあったそうですが・・・
「ワシは、そんなことは知らん、いっさい聞いておらん!」
長老の一喝で、その話は誰も信じなかったそうです。
お蔭でここ、パラオは、ずっと親日なのだそうです。


28日、
さらに追記。
ここからは、厳選した(?)写真をもとに綴る
ペリリュー島の遺跡編でございます。

続きを読む
平和な安らぎのひと時を~世界遺産パラオのロックアイランドを行く
パラオ南西に浮かぶ「南ラグーンのロックアイランド群」、
2012年にユネスコの世界遺産に登録されたこの海域を訪れました。

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さあ、ボートで出発でございます。
もちろん、お見送りには、
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お犬様!!

「あっ!、クジラだ!!」
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って、クジラに見える島・・・確かに見えなくもないですが・・・
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最初の停泊地は、ここロングビーチでございます。

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干潮時にのみ現れるロングビーチ!

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海のド真ん中に美しい砂浜が延々と続いています。。。

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この方が、噂の(?)Mr キンタロウ(金太郎!?)。
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そして、お隣がMr キントキ(金時!?)、
お二人が案内してくれました。
このロングビーチ、運が悪いと見えないそうですね。。。
ほとんど、海面しか・・・「船の下がロングビーチです!」ってことに・・・

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はしゃいでいる間に、潮が満ちて参りました。

ロングビーチを後にして「ジャーマンチャネル」を通り、
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ジャーマンチャネル、その名,「German」という通り
ドイツの統治時代にアンガウル島から鉄鉱石を持ってきて
作られたサンゴの海の水路だそうです。
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ボートが真ん中をこんな風に進んで行きます!!
そして次の目的地、
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シュノーケリングポイントへ到着!!
本来なら美しいサンゴと熱帯魚の写真をお届けできればよかったのですが・・・
水中カメラはなし、しかも慣れないシュノーケリングで四苦八苦。。。
私めの力不足でございますm(__)m

そして、無人島へ上陸。
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ここで昼食なのですが、
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各ツアーの参加者が一斉に上陸するものだから、
この日ばかりは、賑やかな無人島でございます。

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おっと!!、ヤシの実が・・・・
これが時々落ちてくるから注意!!
だそうでございます。。。。

お食事を済ませた後は、
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ここ、「ミルキーウェイ
海の色が・・・・まったく違います。近くで見ると、
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さらに鮮やかでございます。
ここの泥は、
保湿成分を豊富に含み、美白にも効果あり!!
キンタロウとキントキさんが海底から泥を取ってきてくれ、
船上でみんなで
泥パック塗って、ヌッテ、ぬりまくって、
海の中へドボン!!
綺麗な海をみてよし、泥を塗ってお肌にもよし!!

女性の方には、お勧めの場所でございます。
但し、私めの写真は紙面の都合上、
かつあいさせていただきます(あまりにも観るに堪えないため)。

さて、時間も順調に過ぎて行き、
最後は、またまた別の無人島へ。
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ここは、私たちのグループのみ上陸したため、
静かな無人島でございました。
でも何気に、イスもテーブルも、トイレまである・・・・・
観光用の無人島でございますね。

ここでココナッツジュースをご馳走になり、
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最後は、ココナッツの皮をむいて、
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わさび醤油でデザートを!

イカに似た味!?、だそうですが・・・・
私には、イカには思えない・・・・

そして、この島で発見!!
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日本海軍の偵察機の残骸!、だそうですが・・・・
とても偵察機には・・・・・
どうしてそう言えるのか!?
数十年前は、原型を留めていて、そう語り継がれているからですかね!!!
ここ、パラオは昔、戦場でした。
いたるところに戦争の跡が、まるで遺跡のように残っています。
戦争の遺跡は、後日ご紹介するとして、
最後に
パラオの無人島の波の音とカモメの鳴き声を。。。。

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皆様へ、
パラオの無人島へ行った気分になって頂ければ幸いに存じます。

これにて、
執事のパラオ世界遺産ご案内、
めでたく(?)終了でございます。

それでは、また。



執事北へ~謎の遺跡と新しい都
誰が、いつ、なんのために!?
オーパーツ、遺跡などを語る時に決まって言われるこの言葉、
ここパラオにもそんな遺跡がありました。。。。
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ストーンモノリス
パラオで一番大きな島、バベルダオブ島の北端にそれはありました。

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んんっ!?何だか想像していたより小さいぞぉ・・・・・
イースター島のような巨大なものをイメージしていた私には・・・・
何だか拍子抜け・・・・
謎の遺跡・・・大袈裟な!!
地元のガイドさんの説明を聞くまでは、何だか岩があるだけ・・・
そうとしか思えません。。。。

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小さいものは大人の背丈より低く、大きなものでも3-4メートル・・・
でも、これらの岩、確かに測ったように一直線に並んでいます!!
そして、遺跡等を語るときにお約束の、、、、
丁度、この岩から太陽が上るとか沈むとかいうやつも
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さらにお約束の人面岩!
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人!?、私には、カッパのお化けにみえますが・・・・
もう一丁、
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にやけたゴジラ・・・にみえますが・・・・
私の目がおかしい!?、のでしょうか・・・・

ちなみにこれは、ただの倒れた岩・・のようですね。
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なんだか岩ばかりご紹介してもあじけないので、

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遺跡の側に咲く美しい花と、

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丘の上から見えるパラオの美しい海でございます。

かつて太平洋にあったと言われる伝説のムー大陸、
それは、イースター島付近からミクロネシアまでも広がっていたと言われています。
だとしたら・・・・
パラオがムー大陸の西端でも位置的におかしくない・・・かっ・・・・
と、思いつつ、
遺跡を後にする執事でございました。

そして、ここから反転、一路南へ、
そこは、ジャングルの中にポツンとある新しい都、マルキョク!
パラオは、2006年にコロールからここ、マルキョクへ遷都したのです。

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これは、国会議事堂。
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このポールには、パラオ16州の旗と国旗が飾られるそうです。

そして、この建物は裁判所。
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なんだか神殿みたいですね。。。。
それにしても、
観光客しかいない。。。。。。
パラオ政府の思惑は、
首都移転でここ、マルキョクもコロールのような賑わいを!
・・・・なかなかそう上手くはいかないようでございますね。。。。

そして、
観光客しかいないこの地で私たちを待っていたのは、
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お犬様でございます。
気温は30度。さすがに暑さでバテてるのでございましょうか・・・・

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起きました!!
この角度では・・・少しシオン様の面影が感じられるお犬様。。。

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私の後をついてこられます。。。。

ここで私が現地のガイドさんに聞いたパラオのお犬様事情を少し。。。
観光中に、
時々、前に車も人も見えないにもかかわらずバスが止まりました。
すると、
お犬様がゆっくりと道を横切って行くのでございます。
首輪はしていますが、
お犬様は基本的に放し飼い!
野犬は、ほとんどいないそうでございます。
事実、住宅街ではたくさんのお犬様を見かけました。
狂犬病の発生地域でもないパラオ。
お犬様ものんびりと平和に過ごせる地なのでございましょう。

ちなみに、
パラオには、
ペットショップはなく、ブリーダーもいないそうです。
お犬様を迎えたいときは、
ご近所の生まれた子を迎えるのだそうです。
一昔前の日本の田舎ではそうでした。
私も小学生の頃、よく子犬を抱いて帰ってきていたように。
(ご近所で生まれた子をもらってきていました。)

ただ保健所はあるそうです。
時々、悪さをしたり(人を咬んだり)首輪をしていない子は、
つれて行かれることがあるとか・・・・

パラオは、動物愛護という点では、
良くも悪くも、一昔前の日本なのかもしれません。
でも頑張っている方はいらっしゃるようでございます。
お猫様、20匹!
引き取って暮らしている方がいるとか!?
時間があれば、お会いしてみたかったのですが・・・
これは次回の楽しみと致しましょう。

それでは、今回はこのへんで失礼いたします。
まだまだ続く、パラオ編。
次回をお楽しみに!