お犬様の執事の日記
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あくせすかうんたぁ

次代の子らへ~日本とパラオの絆 ぺリリュー島物語
A1.jpg

この場所をご記憶の方もいらっしゃると思います。
ここは、パラオの島々のひとつ、ぺりリュー島の南端にある
「西太平洋戦没者の碑」
今年、天皇皇后両陛下がご供花された場所でございます。

さらに南方にある玉砕の激戦地、
アンガウル島を望むこの場所に・・・
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その慰霊碑は建てられているのございます。

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こちらがぺりリュー島の観光地図でございます。
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この小さな島には、戦時中、日本軍の飛行場がありました。
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今年、両陛下をお迎えするためだけに、一部が舗装されたそうです。
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そして、
現地の墓地の一角に、眠る日本人兵士たち。
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その中にひときわ丁重に祀られている人物が。
A9.jpg

彼こそが、ぺりリュー島守備隊隊長、
日本陸軍 中川州男(クニオ)大佐(二階級特進で中将)

パラオに語り継がれる物語の主人公でございます。
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これは、日本ではあまり知られていない物語。

時は、1944年9月、激化する戦局、
当時日本の委任統治下にあったこの島にも米軍進行の気配が。
目的は、この島にある飛行場の奪取でした。

そして、米軍進行が刻々と現実味を帯びてくる中、
村長、島民一同は、

「隊長さん、私達も一緒に戦うよ!、
この島を守るよ!」

中川大佐の下に直訴するのです。
しかし、
中川大佐は、この申し出に、
あろうjことか、
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」
激高して、一喝の下に彼らを追い返してしまうのです。

「日本人は仲間だと思っていのに・・・
今までのことは全てうそだったんだ・・・」


島民一同は、悲嘆にくれたのです。
疎開のため無言で船に乗り込む一同・・・
彼らの悲しみに追い打ちをかけるように・・・
誰一人、見送りには来てくれません。。。。。

しかし、船が港を離れた瞬間、
全ての兵士たちが浜に飛び出してきました。
先頭には、中川大佐の姿が・・・・
「元気でなぁ~!、ありがとう!」
みんな手を振り、一緒に歌った日本の歌を歌っています。

「私達を助けるために・・・、
隊長さん、わざとあんなことを・・・」
「やっぱり(今までのことは)嘘じゃなかった。
日本人は友達だった・・・」

全てを悟り、見送りに応えるように、
船上で泣きながら手を振る島民たち・・・
日本人と島民たちの絆は・・強いものだったのでしょう。

「この島は確実に悲惨な戦場になる・・・
島民たちを巻き込むわけにはいかない・・・
何としても彼らを避難させなければ・・・」
その気持ちが通じ合った瞬間でした。。。。。

中川大佐のこの英断のお蔭で、
ぺりリュー島の戦いでの民間人(島民)の死者はゼロでした。
民間人に死者なしという歴史上、稀な戦場となったのです。


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ぺりリュー島ツアーに参加した方々が慰霊に訪れています。

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そして、
圧倒的な物量差の戦いが始まります。
当時、世界最強と謳われたアメリカ第一海兵隊、
大挙してこの島に押し寄せてきました。
対するは、
中川大佐率いる守備隊、関東軍第14師団、水戸第二連隊。
こちらも関東軍最強と言われた部隊だそうです。

日本軍は、島民と一緒に作った洞窟陣地にこもり応戦します。
その洞窟、現在も「千人洞窟(後日こう命名された)」として残っています。
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日本軍の徹底抗戦により、
アメリカ第一海兵隊は、甚大な被害を被り撤退(実質、ほぼ全滅状態)、

A28.jpg

ここは、オレンジビーチ、
米軍の上陸地点であり、最初の激戦地。
日米兵士の血でその浜は真っ赤に染まった・・・と言われています。
そのことが、名の由来と聞いていたのですが、
現地のガイドさんによれば違うようですね。

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今では、遠浅で美しいビーチです。
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日本軍の勇猛果敢な戦いは、
敵将、チェスター=ニミッツ提督もこう称えています。

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「この島を訪れる旅人たちよ、日本を訪れることあらば、伝えてほしい。
この島を守るため、日本軍は勇敢に戦い、そして見事に散った。
彼らの勇気と祖国を想うその心根を!」

この碑は、ぺりリュー神社の片隅にありました。

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近くには、国家「君が代」に歌われている「さざれ石」も。

当初、米軍は3日でこの島を陥落させることができると考えていました。
しかし、
実に73日間、その戦いは続いたのです。
中川大佐率いる守備隊は、
「ここで米軍の進行を一日でも長く食い止めることが、
祖国を、愛する家族を、パラオの人々を守ることになる!」
そう信じて戦ったのです。
そして、その勇猛果敢な戦いに天皇陛下(先代)より10回を超える御嘉章を賜ったと聞いています。

しかし、物量差はいかんともしがたいものでした。
補給路を断たれ、弾薬も食料も尽きていく・・・・
次第に日本軍は追い詰められて行きました。

そして、
1944年11月24日。
生存者は、わずか50数名となり戦いは終焉を迎えます。

A36.jpg

「終焉の地」・・・・・
石碑にはそう刻まれています。
「サクラ、サクラ」(軍旗も機密文書も全て焼却し、我らここに散る)
この短い電文をコロールの本部に打電し、
中川大佐他側近2名、
この地(洞窟内)にて自決し、戦闘は事実上終結しました。

そして、島に帰ってきた島民たちは、信じられない光景を目の当たりにします。
破壊しつくされた施設、そこいらじょうに散らばる友の亡骸・・・・
アメリカ兵は、日本兵の遺体は放置したままだったのです。
島民たちは、泣きながら日本兵の遺体を墓地へと埋葬したと聞きました。

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洞窟内には千羽鶴が・・・・・
ツアー参加者は、すべてお線香を供え、彼らの冥福を祈っていました。

私も、冥福を祈るとともにお線香とともに(きっと一番欲しかったであろう)水を、
ペットボトルをお供えしたのです。

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ふと、何かの気配を感じました。
その瞬間、無意識に・・・
私は・・思わず・・”敬礼”の姿勢を取っていたのです。

パラオに語り継がれているぺりリュー島の物語。
この話を知り、私はこの地を訪れてみたくなったのです。

旅の途中、

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とても優しい目をしたお犬様が見つめていました。
「よく来たね。ありがとう。。。。」
まるでその目は、そう言っているようでした。

平和な時代を生きる私達、
その私達の持つ「平和のものさし」で当時のことを語ることはできません。
戦時下を生きた人の言動は、そして心は到底、測れないと思います。
しかし、
想像もできない状況下でも島民のことを思い、助けるために行動を起こした
指揮官が居たことは事実です。
中川大佐、そして守備隊の方々、
貴方たちの心根は、今もパラオの人々の心に生きています。
きっと私たちの心の中にも・・・・
(そう想う時、なぜか東日本大震災、茨城の洪水の中、
自らの命の危険もかえりみず救助を行う自衛隊の方々の姿が浮かびました)。


追記)
余談ではありますが、こんなお話も聞きました

敗戦とともにパラオは米国の信託統治下となりました。
「日本兵は残虐、残忍だった。」
そう教えようと試みたことがあったそうですが・・・
「ワシは、そんなことは知らん、いっさい聞いておらん!」
長老の一喝で、その話は誰も信じなかったそうです。
お蔭でここ、パラオは、ずっと親日なのだそうです。


28日、
さらに追記。
ここからは、厳選した(?)写真をもとに綴る
ペリリュー島の遺跡編でございます。

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「戦争博物館」、
すっかり風化した爆弾と魚雷の横に博物館があります。
色々なものが展示されていました。
その一部をご紹介します。
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当時のお札(軍票でしょうか!?)
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これらは、生き残った方々からお寄贈品とのことでした。
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見慣れたお方のお名前も・・・いらしていたのですね。。。。

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これは、「海軍総司令部跡地」だそうです。
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壁には銃弾がそのまま残っています。

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トイレや風呂の跡も・・・・そして、
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近くには防空壕。。。
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かなり頑丈にできています。
数年前、ここペリリューにも台風が襲来したそうです。
地元の方は、この日本軍司令部跡地に避難して難を逃れたとか・・・
70数年もたつというのに・・・
まだまだ立派にお役に立っているようでございます。

B31.jpg
路を歩いていると、赤と白の杭が打ち込まれていますが、
この赤の部分の先には、
未だ爆弾、地雷等があるので危険とのことでした。

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日本軍の戦車です。
十数台あったそうですが、出動命令が遅れたためか!?
ほとんど活躍できなかったそうです。
そして、こちらが、
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米国の水陸両用の上陸用戦車。
日本軍のものよりかなりでかい。。。。その数も10倍以上の台数で襲来したようですね。

その戦車を睨むように、
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丘の上に砲台が設置されていました。
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上手く洞窟を利用しています。
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洞窟内から見るとこのように・・・・

戦車、砲台のみならず、もちろんゼロ戦も。
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B32.jpgB33.jpg

米軍の立てた慰霊碑もありました。
この碑は、島の一番高い場所にあります。
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島全体が見渡せます。ジャングルそのもの・・・・


私達から戦争の記憶が薄れゆくとともに、
これらも風化が進み・・・
やがて消え去っていくのでしょうか・・・・
いや、自然の中に帰っていくのでしょうね。
しかしながら、
出来うる限り、
記憶にとどめておきたいと思います。
私達の偉大な先人たちとともに。

B39.jpg

港で私達を迎えてくれた看板。。。
またいつか、訪れてみたいと思います。


これにて、
お犬様の居ない執事の日記、
パラオ編、
今度は、本当に終了でございます。

皆様、
長々とお付き合い頂き、
ありがとうございました。


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コメント
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2015/12/24 16:45] | # [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2015/12/26 09:28] | # [ 編集 ]


今年も見守って下さり、また温かい応援をいただきありがとうございました。
来年もどうぞ宜しくお願い致します。
[2015/12/31 07:05] URL | しいこねこ #- [ 編集 ]

しいこねこ様へ
こちらこそ、ありがとうございました。
来年もよろしくお願い致します。
[2015/12/31 16:14] URL | お犬様の執事 #- [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2016/01/09 01:13] | # [ 編集 ]


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